左利きは、世知辛い 9/15

ここ最近は、ピアノの前に座っても、何も思いつかず、窓の外の景色を眺めるばかりでした。景色と言っても、見えるのは、道を挟んで向こう側の小さな雑居ビルですが。そのビルにはいくつかの会社が入っているらしく、私の部屋から覗ける窓からは、今までに、エプロンを着る女性の姿を何度も見ました。見えるのはどれも首から下で、おそらく、そこは更衣室か何かなのでしょう。どの女性もベテランらしく、エプロンを身につけるのに、10秒ともかかっていませんでした(興味本位で、つい測ってしまいました)。また、30分に一回は、その部屋に、エプロンを着に女性がやってきました。しかも、いつも一人だけで。

 

その部屋の中で、毎日、何が行われているのかは、定かではありませんが、そのエプロンが、赤と緑と黒の三色展開であるということは、確かでした。そして、そこにある法則も、私は、理解しちゃいました。

 

その法則とは、以下のようなものでした。

赤のエプロンを着た女性の後に、そこにやってきた女性は、赤、あるいは黒のエプロンを着て、緑のエプロンを着た女性の後に、そこにやってきた女性は、赤のエプロンを着ます。そして、黒のエプロンを着た女性の後に、そこにやってきた女性は、緑、あるいは、黒のエプロンを着ます。

だから、何? って話ですね。

ただ、休日の日に、窓からそのエプロンの色あてをするのが、私のささやかな楽しみってことです。最初の一人を見てから、一気に3時間分予想して、紙にメモで書いておき、30分ごと答えわせてします。赤、黒、黒、緑、赤、赤、赤、……みたいに。全部当たると、とても気持ちいい。はい、それだけです。

 

窓の外の、となりのビルの窓の中は、だいたいそんな感じでした。赤か緑か、もしくは黒のエプロンを着る女性、あるいは、室内の電灯を白く反射するリノリウムの輝きだけでした。

 

バカみたいなことばかり考えるのではなくて、少し気分を変えてみようと、鍵盤を叩いてみても、音なんてちっとも鳴りませんでした。あったのは、恐ろしいほど重厚な沈黙だけでした。

 

そこで、私は、学びました。重厚な沈黙は、ヴー、ヴー、という音がします。ガッタガッタガッタ、とも響きます。グオーン、とも。少しして、シーン、という聞き馴染みのある沈黙がやってきます。それから、となりの部屋の、ベランダに続く窓が開く音がして、バッサ、バッサ、と服を広げる音がします。それを聞いて、私は、私を侵食し始めていた孤独感から、間一髪解放されるのです。

 

そのおかげで、もう一度ピアノへ向かおう、と思えるのです。

 

そもそも、これがピアノじゃないこと、ピアノだとしてもその機能を一切果たしていないこと、私は、それを理解しながらも、これに向かっています。どうしてでしょうか。

 

理不尽? いや、不可思議? いや、大いなる目的がそこにある?

 

はあ。

 

また、わけのわからぬことを書いてしまった。

 

今夜は、集中力もなくて、食欲もわかないから、トマトジュースで、おしまいかな。

 

、といった風にここまで無気力的な私は、左利きです。

左利きってこんなんですか? それとも私だけですか?