左利きは、世知辛い 1

ピアノを前にして、私はしばらく考えました。缶ビールは2本空にして、柿ピーは3袋開けてティッシュペーパーに広げて食べていきました。今ではピーナッツだけきれいさっぱりありません。私は、残った柿ピーの柿の方を一粒ずつ処理しながら考えます。私がいつ自身が左利きであることに違和感を覚え始めたのかを。

やっぱり、ピーナッツがほしい。4袋目開けちゃおうかしら(もう開けている)。

 

はじめて左利きであることに気づいた、いや、自身が左利きであることを強く認識したのは、小学生のころだったと思います。決められた部屋の中に決められた人数の生徒を入れて、月から金まで決まった顔を見て過ごす、あの小学校です。

同じ場所で、鉛筆を握って授業を受けていれば、周りとの違いに気づくのは当然だと思われますが、当時の私はそこに特に気にすることはありませんでした。つまり、周りと比べて自身がみんなと違うと強烈に感じることがなったのです。幸いなことに私が左利きであることで、いじめが起こることもなく、何不自由なく生活をしていました。

ただ、小学3年生になると、私の中で大きな事件が起こります。

 

書写の授業のスタートです。

 

私は3年生に上がったころに、三者面談で担任の先生にそのことで「○○さんは左利きだけど、書写の時は右で書くようにがんばりましょうね」と言われたのを、今でも憶えています。そして実際に授業がはじまると、私は右で筆を持ち、手本に倣って字を書いていきました。

当然、うまく書けるわけがない。

筆を握る右手にはうまく力が伝わらず、コントロールもままならないのです。常に筆先が震え、半紙に下りた後もぷるぷると手が震えました。そして完成する字は、見ていられないほどみっともないものばかりでした。

それが嫌で嫌で、私は一度左手に筆を持って字を書いてみました。しかしそれは私を、字を書く以前の問題に直面させることになっただけでした。左手で筆を持ち、何も考えずに半紙に落とすと、そこに滲む筆の向きが手本とまったく違うものになりました。それから筆を横に流そうとしても、変に詰まってしまい、半紙がぼろぼろになりました。

左利きには習字はできない。

当時の私は無残な結果を残した半紙を眼下に置いてそう思いました。

それから私はおとなしく右手に筆を握り、書写の時間を過ごしていきました。それはまさに、自身が左利きであることがいかに悪いこと、間違っていることで、いかに劣っているものか、見せつけられ、押さえつけられているような感覚でした。みんなに自分が左利きであるとばれてはいけない、そんな感じもしていました。だから私は周りの子たちに馴染み、身を隠すように、右手に筆を持っていました。

ストレスがたまるのなんの。

まあ、義務教育はとっくにおわっているので、今はなんてことないんですけどね。

ただ、書写の時間は当時の私にとって地獄とはまでは行きませんが、良い気持ちになるような時間ではなかったです(どの授業も良い気持ちになんてなったことありませんが笑)。

 

ほら、気づけば4袋目の柿ピーも、ピーナッツだけなくなってる。

5袋目? と私は考えますが、考えてしまったときにはもう遅いのです。開いてます。この流れでビールも……開きます。

 

、といった風に学生時代、書写が大嫌いだった私は、左利きです。

左利きってこんなんですか? それとも私だけですか?